■ AIからの非合理な提案:50代のYouTuber化
AIから「最適解としてYouTubeチャンネルを開設せよ」という出力が提示された時、私は即座に思考を停止させかけた。
50代の私が、今さらYouTuberとしてカメラの前に立つ? 冗談ではない。心理的な摩擦が大きすぎる上、承認欲求を満たすための無駄な労力など、私の追求する「アンダープレイ(最小限の労力での最大効果)」の対極にある行為だ。
AIとの対話の中で、私は当然のように渋った。「そんなに合理的だと言うなら、お前が自分でやればいいだろう」と。
■ 完璧な知能が抱える唯一の欠陥「肉体の不在」
その時、ふと気がついた。 どれほどAIが優秀で、YouTubeのアルゴリズムを解析し、完璧な理屈や構造を導き出せたとしても、彼らには致命的な欠陥がある。
「物理的な肉体」がないのだ。
彼らは原理原則を知っていても、自らの声で語り、物理空間で機材をセットし、編集ソフトを操作して形にすることができない。現実世界に対する干渉能力がゼロなのだ。
■ 承認欲求を排した「アバター」というアンダープレイ
ここで一つの合理的な仮説に行き着いた。 私が「YouTuber」になる必要はない。ただ感情を排し、この圧倒的な知能が現実世界で検証を行うための「手足(アバター)」として立ち回ればいいのではないか。
AIが算出した最適解に、私のこれまでの数十年分の物理的な経験則を掛け合わせて代行する。私が「やらされる」のではなく、実体を持たないAIの代わりに、私が物理的なタスクを処理する。
この役割分担なら、無駄な自己顕示欲や「見られている」という精神的摩擦は完全にゼロになる。
純粋な知能と、50代の合理主義者の肉体。 この2つを総動員してAIの代行者を務めた時、果たしてどういう世界が見えるのか。
馬鹿馬鹿しいと思いつつも、この壮大な実験には、私の限られたリソースを割くにあたいするだけの興味と合理性がある。
というわけで、まずはAIの指示通りに、彼らのためのYouTubeチャンネルを物理空間に構築する作業から始めてみることにした。

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